2017年1月20日より始まった通常国会において、政府・与党は「テロ等準備罪」を新設するための法案を提出することが確実であるとの報道がされています。
波止場てつがくカフェは、「共謀罪」の新設を企するものであるこの法案の可決に反対の意思を表明します。
その理由は、本法案が人の自由な発話を抑圧し、「対話の場」を開いていこうとする活動を根本的に困難なものにしてしまうということによります。
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私たちの目的は、見知らぬ者同士の間に「対話の場」を開くことです。
全く異質な存在同士が、相手の発話に身を委ねつつ、自らの「当たり前」を問い直すことで、新たな地平に開かれてゆく――。
そしてそのような「対話」の空間を、人が自らの属性とされるものに縛られることのないものとして実現したい。
ある時はカフェで。またある時は街頭で。
私たちは、およそ人が集まり行き交う日常に、そのような「対話の場」を現出させるべく、活動して参りました。
「対話の場」を開いていくにあたって一番大切なこと。
それは見知らぬ者同士が臆せず、しかし他者に対する畏れを忘れることなく、互いに言葉を発する方向に向かって踏み出そうとすることであると、私たちは考えます。
そしてそのためには、個人がその安全を脅かされることなく自らの考えを表明することができる環境が必要です。
しかし共謀罪とは、人が集い、おもいおもいに言葉をかわす営みそのものを禁止し、罰しようとするものです。
本法案は、「対話の場」を実現していこうとする私たちの試みそのものに、根本的に対立しています。
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とはいえ、「対話の場」をあらゆる人に開かれたものとして実現したいと考える私たちにとって、政治権力のあり方について直接に考えを表明することは、大変に重い決断でもありました。
――「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」(新約聖書・マタイ伝第22章)
かつてイエスはローマの帝国の中にありながら、それとは別の「神の王国」を説きました。
もちろん「哲学」のかまえは、信仰のそれとは違います。
「カエサル」の名をもって「返す」ことを迫る者に対し、「神」のものであることをもって抗弁することを、ただちに真として受け入れることはできません。
しかし一方で、「神のもの」とは何なのか?「カエサルのもの」とは何なのか?「返す」とはどういうことなのか?「何を」返すというのか?
帝国たるローマはもとより、神や教会の言葉に対しさえ、このような「問い」を投げ返してきたのもまた、「哲学」ではなかったでしょうか?
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人が集い言葉を交わすことを抑圧し、人の発話、そして内心の自由そのものを犯罪化しようとするこの法案について、私たちは「対話の場」を開いていこうとする者として、否の言葉を発せずにはいられません。
政府が成立を企図する本法案は、撤回/否決/廃案とされるべきです。
波止場てつがくカフェは、テロ等準備罪/共謀罪 設置法案に反対します。
2017年3月20日
波止場てつがくカフェ
――追記――
波戸場てつがくカフェは、引き続き共謀罪に反対です。
全国会議員は、立法府の責任として自らこの違憲立法を改め、速やかに法律を廃止として下さい。
私たちは変わることなく、対話の試みを続けようと思います。
――私たちへの攻撃の陣容が整えられる、その前日に。
2017年7月10日
波止場てつがくカフェ